弘化四年の善光寺地震

301 ~ 302

弘化(こうか)四年(一八四七)三月二十四日夜四ッ時(午後一〇時)、信濃北部から越後南部にかけて起こった大地震(善光寺地震)は、二次災害を含め大災害となった。三輪地区の災害被害状況は、中越(なかごえ)村で家全壊一三軒、半壊六軒、即死四人、神社一、寺一が倒壊した。桐原村は家全壊一六軒、半壊一〇軒、圧死四人(男二・女二)。三輪村は、街道沿いの橋場組の家々は潰れ、火災が起こって類焼した。同村横山組・相ノ木西組の家々も全壊、そのうえ火災が発生し類焼した。相ノ木東組の家も大半が潰れた。村全体で変死者一三一人(男六一・女七〇)となった。弘化三年「三輪村五人組御書上帳」では、橋場組五人組三組一二軒・人別四六人(男二二・女二四)、横山組五人組五組四九軒・人別一四四人(男八五・女五九)、相ノ木組五人組一七組二二八軒・人別八四五人(男四〇四・女四四二で、村全体の軒数三八二軒、人数一四九七人であった。返目村も、家全壊一二軒、半壊一九軒、神社全壊一、圧死六人(男五・女一)であった。