学校教育の進展

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昭和二十二年(一九四七)四月、学制改革による六三制の実施にともない、三輪国民学校から長野市立三輪小学校と改称し新しく出発した。翌二十三年にPTA主催で第一回競技会が開かれた。新制度に入った三年目、学校は教育目標を「すべての児童は平等に」「楽園でありたい」と定めた。昭和二十一年二月から味噌汁給食で開始された学校給食は、二十六年二月二十三日から完全給食となった

 昭和三十年以後、市の都市計画にともなう住宅・団地造成で児童数も年々増加した。三十年四月に三輪六丁目に城東小学校が開校され、児童は一年から四年までの七七七人で発足した。同三十六年の三輪小学校の卒業式は、学校体育館ではできず、城山市民会館でおこなった。同四十四年四月、上松(うえまつ)四丁目に湯谷小学校が児童数六八七人で開校された。現在三輪地区の児童は、以上の三小学校のほかに古牧小学校にも通学している。

 地区内の生徒が通う中学校は、長野市立柳町中学校・桜ヶ岡中学校・東部中学校がある。三輪八丁目に長野県短期大学、三輪九丁目に私立長野女子短期大学・同高等学校、上松一丁目に長野高等学校、三輪一丁目に長野ろう学校がそれぞれ所在する。