「吉田」という地名の初見は、『吾妻鏡(あずまかがみ)』にある。文治(ぶんじ)二年(一一八六)三月十二日の条で、「左馬寮(さめりょう)領 吉田牧」とあるのが、ほぼ当地区の吉田になるらしい。善光寺の東方、浅川扇状地上に設置された「吉田牧」の水田化した村名であろう。また、天正(てんしょう)九年(一五八一)の『信濃国道者之御祓(おはらい)くばり日記』に、「吉田の町」とあるから、当地は、戦国時代すでに「吉田の町」が成立していたらしい。人々が住みついてよい田をひらいた。よい田だから「吉田」の村名が生まれたともいわれる。