一 石器・土器と遺跡

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 吉田地区には「浅川扇状地遺跡群」があり、竪穴(たてあな)住居跡や墓跡が見つかっているので、かなり大きな村で人びともたくさんいて、住みやすい土地であったと思われる。辰巳池(たつみいけ)遺跡から、縄文時代中期・末期の土器と打製石斧(だせいせきふ)・石匙(いしさじ)が出土した。平成六年(一九九四)の発掘では、中越(なかごえ)三ヵ所の遺跡と辰巳池遺跡から、縄文時代中期、中世などの集落跡が発掘された。中越遺跡(北長野駅南西)から弥生時代の竪穴住居跡七軒、辰巳池遺跡から同五軒、同七年、信濃吉田遺跡(東急ライフ北側)から、縄文時代後期の敷石住居跡一軒・敷石土壙(どこう)一基・石がこいの「いろり」、弥生時代後期の木棺墓(もっかんぼ)一基、同七年、吉田四ッ屋遺跡からは弥生時代後期の土器棺墓(どきかんぼ)が見つかった。

 昭和四十五年(一九七〇)から六十年にかけて三回発掘された長野吉田高校グランド遺跡から、弥生時代後期の竪穴住居跡一〇軒と土器が出土した。その主なものは、弥生時代後期後半(箱清水式)より古く、弥生時代中期後半(栗林式)よりあとのもので、長野盆地の弥生時代後期前半の標式土器として「吉田式土器」と呼ばれている。竪穴住居跡一〇軒の単一集落も見つかった。ほかに、押鐘(おしかね)遺跡・信越放送局前遺跡・東部中学校遺跡などがある。


写真2 吉田式土器(壺)(弥生時代後期前半の標式土器)(『長野吉田高校グランド遺跡報告書』より)