吉田牧

321 ~ 322

朝廷の左馬寮(さめりょう)の領地で、信濃国に二八ヵ所あった左馬寮の牧場のひとつである。鎌倉時代のはじめ、信濃は源頼朝の知行国であったが、木曽義仲の乱で荘園の年貢が滞っていたから、早く年貢を納めるようにと後白河法皇が頼朝に催促した文書に「吉田牧」の名が載っている。この吉田牧については、東筑摩郡広丘村(塩尻市)の吉田とか、下高井郡旧平野村(中野市)の吉田などの説があるが、当吉田地区は、桐原・中越・下越(現太田)・宇木(牛牧)・駒沢など、牧場に関係する地名があった。それに、中越・桐原・宇木などのほぼ中心が吉田になるらしい。