吉田地区には各種あわせて三九〇基ほどの石造物が、寺社、公会堂、個人宅などに散在している。
長野市内の灯籠(とうろう)のなかで、最古の造立は永享(えいきょう)十二年(一四四〇)で、吉田に一基ある。長野市内の庚申塔(こうしんとう)のなかで、最古の造立は慶安(けいあん)三年(一六五〇)である(吉田三・長沼三・古里二)。中越(なかごえ)の庚申塔はその最古のもののひとつで、元禄(げんろく)六年(一六九三)から今日にいたるまで、一度も休むことなく庚申講をつづけてきた記録(長野市指定文化財「中越庚申講人別帳および用具一式」)をもつ中越庚申講の供養塔である。同じ家系が長くつづいており、安定した社会であることがわかる。現在も書きつがれている。吉田地区には、年号の明らかな庚申塔は一二基あり、かつて庚申信仰が盛んであったことがうかがわれる。また、幕末から昭和年代までに造立された筆塚・頌徳碑・文学碑は二〇基を数える。
また石祠(いしほこら)が一二四基あり、そのうちの九〇基は皇足穂(すめたるほ)吉田大御神宮(おおみかみのぐう)境内にある。六地蔵造立のはじめは天明(てんめい)三年(一七八三)で、五四基ある。地蔵菩薩(ぼさつ)造立のはじめは元禄十五年(一七〇二)で、四三基あり、地蔵菩薩も六地蔵も、大正十二年(一九二三)合併の旧市内では一番多く、長年村人に親しまれていることがわかる。
文学碑は①雲折々人を休むる月見かな(芭蕉句碑、吉田観音堂境内)②只涼し水ものぼらず月も来ず(何丸句碑、吉田観音堂境内)③人丸も赤人も知らず菊の花(何丸句碑、皇足穂吉田大御神宮境内)④木がらしに鶴も年よる姿かな(芳蘭句碑、吉田観堂境内)⑤春の夜や流れて歩く鴨の声(何丸句碑、辰巳池)などがある。