石高の変遷

339 ~ 340

慶長(けいちょう)七年(一六〇二)の検地高と、二百余年後の天保(てんぽう)五年(一八三四)の『信濃国郷帳』の村高を比べてみると、吉田村が八石、桐原(きりはら)村三石、中越(なかごえ)村三石増程度である。近世をとおして石高がほとんど変わらないのは、近世のはじめに、すでに開拓しつくされていたからであろう(表2)。


表2 吉田の石高の変遷表