松代藩は藩内産業の発展と藩財政たてなおしのため、領内の一定の産物を集め他国へ売り出す産物統制を始めた。幕末の慶応(けいおう)元年(一八六五)に再編成して、吉田をはじめ領内二三ヵ所に産物会所を設けた。同年の「松代藩各会所木綿改表」によると、繰綿(くりわた)では、吉田産物会所の扱い量は四七三七貫で、松代領全体の四二パーセントりを占めていた。
吉田産物会所
松代藩は藩内産業の発展と藩財政たてなおしのため、領内の一定の産物を集め他国へ売り出す産物統制を始めた。幕末の慶応(けいおう)元年(一八六五)に再編成して、吉田をはじめ領内二三ヵ所に産物会所を設けた。同年の「松代藩各会所木綿改表」によると、繰綿(くりわた)では、吉田産物会所の扱い量は四七三七貫で、松代領全体の四二パーセントりを占めていた。