三 商工業の発達

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 明治三十三年(一九〇〇)吉田で最初の工場としてふじや製糸工場が北本町に創設された。最盛期の釜(かま)数は約二八〇、工員三〇〇人。工場で使う繭は上水内(かみみのち)郡外からも買った。大正二年(一九一三)閉鎖し、田中製糸となり、同七年岐阜県に移転した。明治三十八年越カーバイト工場が東町に設立。同四十五年吉田商工会を組織。大正三年吉田繭糸株式会社(繭仲介)設立。同四年吉田倉庫株式会社設立。同五年丸八製糸が、釜数五〇、工員六〇人で操業開始(昭和十八年・一九四三まで)。大正八年農業倉庫設立。同十一年落合麻工場、北本町に設立。同十二年よしのや桐原(きりはら)工場設立。昭和元年(一九二六)長野製糸株式会社、東町に設立。同四年吉井屋醤油工場、横町に設立。同十一年長野製糸工場閉鎖。同十三年前田鉄工所が岡田町から東町に移転、同二十五年従業員五二一人。同十四年仁科工業株式会社が淀ヶ橋から東町に移転してきた。同十五年日本乳業品株式会社、東町に設立。

 大正十五年刊『長野花の栞(しおり)』によれば、長野市内では権堂・深田町・鶴賀遊郭・吉田の四ヵ所に芸妓置屋があった。吉田二線路通りの吉田花街には五軒の置屋に一一人の芸妓がおり、繭商いでふところの温かい人たちが足を止め、にぎわった。