天明の飢饉
天明(てんめい)三年(一七八三)七月浅間山大爆発、以後大飢饉(ききん)となった。同年十一月、「桐原(きりはら)村不作につき上納延期願」によると、「水田・畑の木綿、大豆は収穫皆無につき年貢延納願い」を郡奉行所に出した。