寛保の水害

344 ~ 345

寛保(かんぽう)二年(一七四二)戌(いぬ)七月の満水は、東北信を襲った。松代領内一一八ヵ村でも甚大な被害を受けた。「押鐘(おしかね)村用水堰(せぎ)五〇間(九一メートル)、深さ二丈(六メートル)抜け、下堰二五〇間(四五五メートル)、深さ八丈(二四メートル)」などの被害を受けた。また、「領知水損之覚書」によると、太田村(当時下越村)は、石高二四六石余のうち、一二七石の被害を受けた。押鐘村は、石高二三五余石のうち、一三三石余の被害を受けた。