岡沢大蔵の銀杏(いちょう)塾は、現在の銀杏屋(本町)の北隣にあった。吉田村の八代岡沢大蔵勝識は、父陸沈(七代岡沢大蔵)の銀杏塾を継ぎ、天保(てんぽう)十年(一八三九)から、読み書きと俳句を教えた。俳号を芳蘭と称し、何丸(なにまる)没後の「月院社」社中を統率した。芳蘭の句碑が、皇足穂(すめたるほ)吉田大御神宮(おおみかみのぐう)のわきの、観音堂に建てられている。「木がらしに鶴も年よる姿かな」。この句は、若槻の蚊里田八幡(かりたはちまん)の拝殿の俳額中に、「凩(こがらし)に鶴も年よる姿かな」として掲げてある。なお、押鐘(おしかね)の万刀美(まとみ)神社・桐原(きりはら)牧神社・古牧の天満宮の俳額中に、句と芳蘭の名がある。