九代大蔵昌親

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昌親は父芳蘭の高弟として、父の在世中から没後の約四〇年間、銀杏塾で近隣の生徒を教えた。明治十六年(一八八三)に調査された「寺子屋取調表」によると、同六年当時の生徒数は男五二人、女八人、計六〇人で、女子が八人もいるのはめずらしい。「弟子録」(岡沢大蔵所蔵)によると、天保(てんぽう)九年以前から明治六年十二月十五日休業までの約四〇年間の生徒数は五五三人。嘉永(かえい)三年(一八五〇)父芳蘭死去当時の生徒数は、再学が四八人、初入三人、計五一人で、うち、女子九人。徳間・相之木・小玉・北郷・栗田・長沼地籍からも通っていた。