積成・明融・成美学校

348 ~ 349

明治五年(一八七二)八月、政府は「学制」を公布し、近代的な教育改革、国民皆学の方針を明らかにした。同六年吉田・押鐘(おしかね)で積成(せきせい)学校を善敬寺に、同七年桐原(きりはら)・﨤目(そりめ)で明融(めいゆう)学校を清林寺に、東和田・西和田・中越・太田四ヵ村で成美(せいび)学校を東和田の観音堂に開いた。同十五年積成学校を吉田学校と改称した。同十八年教育令の改正で明融学校を、同十九年成美学校を吉田学校に統合した。同二十年宇木学校吉田支校となつた。