長野吉田高等学校

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明治三十二年農業学校規程が定められ、同四十一年四月二十八日、吉田小学校東部高等小学校東校舎に、吉田・朝陽・柳原・古里・若槻の上水内郡東部五ヵ村組合立東部農学校として、この地域における農業経営の中心になる人材育成の使命をになって開校した。修業年限は二ヵ年であった。

 大正十年(一九二一)十二月、一郡一校の長野県中学校網の計画により、地元負担金一五万円、敷地一万二〇〇〇坪(四ヘクタール)の寄付が決定した。同十二年三月、県告示により県立移管し、長野県上水内農学校と改称、位置を上水内郡吉田広町(現在地)に移転した。同十五年四月、農事試験場・長野県実業補修学校教員養成所を併設した。同十九年四月、併設青年学校教員養成所は官立青年師範学校となる。