明治四年(一八七一)の廃藩当時は、富竹、金箱(かねばこ)、上駒沢(かみこまざわ)、下駒沢(しもこまざわ)、三才(さんさい)の五ヵ村であった。明治五年、県と町村とのあいたに区が設けられると、古里地区は第六二区に入り、各村には戸長(正式には副戸長)が置かれた。明治七年、大区小区制がしかれると、五ヵ村は北第二五大区第二小区となり、この大区の会所および小区の戸長役場が上駒沢村の法林寺に置かれた。
明治十二年一月郡区町村編制法の施行により、上水内(かみみのち)郡に編入されて、各村に戸長役場が置かれたが、同十八年四月から、諸経費の軽減のため、金箱村ほか四ヵ村連合戸長役場を金箱村に設置した。