明治二十二年市制・町村制が施行されると、これまで戸長役場の区域が合併して古里村となり、金箱三九五番地の青木武平宅を借用し、村役場として事務を開始した。職員は村長、助役、収入役、常書記二人、小使一人。事務内容は、戸籍・兵事・議事・税務・農商・土地・衛生であった。
明治四十一年小学校校舎を改築して、旧校舎に役場を移転したが、昭和二年(一九二七)十二月二十七日に役場から出火し、役場と小学校を焼失したので、再び青木宅を借用して事務をとった。
昭和十一年農協所有地に新庁舎を新築、役場と農協が上下階に分かれて事務をとった。その後国民健康保険の充実、診療所の設置や戦後の地方自治の充実で職員数も増え、長野市合併直前には一五人であった。