昭和四十一年(一九六六)、県企業局による駒沢新町(こまざわあらまち)団地造成のさいに発見され、翌年長野市教育委員会により緊急発掘調査された。同年十一月に、五世紀後半を中心に当地域の村落共同体による水にかかわる農耕祭祀(さいし)が執りおこなわれた日本有数の遺構であるとして、長野市の史跡に指定され、現在は史跡公園となっている。
検出された遺構は、古墳時代前期の祭祀遺構四、後期の遺構(あるいは住居址(し))一、炉および竈(かまど)址三である。
下部に砂礫(されき)を積み、その上に拳(こぶし)大の礫を山形に積み上げた湧水(ゆうすい)をともなった遺構をとりまくように、祭祀行為の終了後に祭具を格納したと考えられる遺構が並んでいた。その最大規模の遺構からは土師器(はじき)の大型球形土器が中央部に、高坏(たかつき)や小型丸底土器は周辺部から検出された。そのほかに滑石(かっせき)模造品(勾玉(まがたま)・有孔円板=鏡・剣形などの神器)・管玉(くだたま)・丸玉・ガラス小玉のほか、釶(やりがんな)・鉄鏃(てつやじり)・刀子(とうす)などの鉄製品も検出されている。