上駒沢原地籍に長命寺廟跡(ちょうめいじびょうせき)と記した石碑がある。現在の南堀の長命寺の寺跡である。長命寺の開基西念房(さいねんぼう)は越後五智で親鸞(しんらん)の弟子となり、親鸞の関東巡回にしたがい、武蔵国野田に坊舎を建て宗風(しゅうふう)を広めた。正応(しょうおう)元年(一二八八)本願寺三世覚如(かくにょ)の関東巡回のさい、その功労と長寿(一〇七歳)をたたえられて長命寺の寺号を賜った。建武(けんむ)の戦乱で荒廃したので、西念の故郷の駒沢のこの地に再建した。
寺はのちに布野に移り、さらに元禄(げんろく)十二年(一六九九)現在の南堀の地に移転した。この碑はもともとはここより南西一〇三メートルの原地籍にあったものだが、昭和五十八年(一九八三)から六十二年にかけておこなわれた土地改良事業により、現在地に移転されたものである。