一 村と領主の移り変わり

377 ~ 379

 戦国から江戸初期の変革期には、村も大きく変わった。天正(てんしょう)六年(一五七八)の記録には残っている徳永(とくなが)(得永)郷が、近世村落として成立せずに消滅して、富竹(とみたけ)と金箱(かねばこ)の両区に小字名として残るだけとなった。 また、同じころ南北の二郷に分かれていた駒沢郷(こまざわごう)が、慶長(けいちょう)七年(一六○二)の検地帳では駒沢村に統一され、さらに正保(しょうほう)四年(一六四七)の信濃国郷村帳では上駒沢と下駒沢村の二村となっている。


表2 古里地区の変遷(近世~現代)

 領主も表2のように、目まぐるしいほど何回か変わったが、飯山藩領となった三才の一部(高六一八石余のうち二八六石余)をのぞいて幕府領の期間が長かった。