養蚕の好景気もつかの間であった。大正九年三月に株式市場の大暴落があり、糸況はふるわなくなった。それに加えて昭和二年(一九二七)の大霜害、四年の世界恐慌(きょうこう)の影響で、同七年には白繭で一円八〇銭となり、農家経済はどん底にひんした。このころから果樹に切りかえる農家が出てきて、桑園も昭和六年には一五六ヘクタール十三年に一二三ヘクタールと減少しはじめた。しかし減少したとはいえ、養蚕はいぜんとして農家経済の中心であった。第二次世界大戦が始まると食料自給のため桑園は整理され、昭和二十年には四三ヘクタールに減少した。