弘化(こうか)四年(一八四七)三月二十四日の地震と、その二〇日後の岩倉山崩れの水害で、地区は再び壊滅的な被害をうけた。下駒沢村が中野代官所にあてた被害報告によると、家屋の被害が全壊六九軒、半壊二軒とほぼ全戸におよんでいる。被災者三七二人、そのうち死者一九人、けが人二人となっている。他地区の被害の詳細は不明であるが、諏訪社・金箱神社・信叟寺・直心院・真願寺・法林寺・大澤寺などが倒壊しているので、すべての地区で壊滅的な被害をこうむったことがうかがえる。
善光寺地震
弘化(こうか)四年(一八四七)三月二十四日の地震と、その二〇日後の岩倉山崩れの水害で、地区は再び壊滅的な被害をうけた。下駒沢村が中野代官所にあてた被害報告によると、家屋の被害が全壊六九軒、半壊二軒とほぼ全戸におよんでいる。被災者三七二人、そのうち死者一九人、けが人二人となっている。他地区の被害の詳細は不明であるが、諏訪社・金箱神社・信叟寺・直心院・真願寺・法林寺・大澤寺などが倒壊しているので、すべての地区で壊滅的な被害をこうむったことがうかがえる。