浅川の氾濫(はんらん)

389 ~ 389

浅川をはじめ地区を流れる新田川・駒沢川・田子川はいずれも天井川でたびたび決壊して大被害を与えている。とくに浅川は屈曲も激しく、決壊しやすかった。堤防の補強にも金がかかり、そのために古里の貧乏川といわれた。明治以前のことははっきりしないが、明治二十四年(一八九一)以後だけでも七回におよんでいる。昭和六年第一回改修工事が下流の鳥居村から始まり、古里地区では田畑をけずって河道を変え、河床をさらい堤防を強化する工事がおこなわれた。工事は昭和十三年五月に竣工した。