二 古里の和算

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 地区の文化で特色のあるのは和算である。県下に現存する算額四七枚のうちの二枚がこの地区のものであることは注目すべきことである。関流の山下喜総太(きそうた)とその門弟のものと、宅間流の田原小埜右衛門(おのうえもん)・清兵衛父子とその門弟のものである。天保(てんぽう)三~四年(一八三二~三三)に相前後して善光寺に奉納されている。

 田原家は、小埜右衛門・清兵衛・善三郎の三代にわたり地域の教育に大きく貢献した。とくに善三郎は祖父から宅間流を習い、のち江戸に出て関流の長谷川善左衛門に師事、帰郷後、門人を集めて数学や漢文を教えた。明治維新後、郷学校主任・三才学校世話係・執事をつとめている。「算法通書」に善三郎作成の問題が載っている。


写真9 二十山の供養塔(善光寺本堂北側)