古里尋常小学校

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明治二十二年、前年の市制・町村制の公布により、四月に五ヵ村が合併して古里村が誕生するが、その直前の三月に小学校区画改定により金箱学校は古里尋常小学校となった。大正十年(一九二一)には待望の高等科を設置し、古里尋常高等小学校となった。

 昭和二年(一九二七)役場からの出火で、学校は新校舎五教室を残して焼失した。農村不況の折であったが、村民は一丸となって復興にあたり、翌年十二月には近在にないスレート葺(ぶき)の校舎が完成した。昭和十六年国民学校令の施行で古里国民学校と改称され、初等科六年・高等科二年が義務制となった。