昭和十三年(一九三八)大改修工事がおこなわれた浅川は、一〇年を経過した時点で河床(かしょう)が堤防上まで一メートルぐらいに埋まったところもあり、大雨のたびに鐘をたたいての大騒ぎとなった。このために昭和二十四年から県直営工事で、富竹地籍では石積みによる護岸、金箱地籍の学校西から下駒沢の五反田地籍までの河床ざらいがおこなわれた。同二十六年にはブルドーザーが使われ竣工が早められた。
浅川の第二回改修工事
昭和十三年(一九三八)大改修工事がおこなわれた浅川は、一〇年を経過した時点で河床(かしょう)が堤防上まで一メートルぐらいに埋まったところもあり、大雨のたびに鐘をたたいての大騒ぎとなった。このために昭和二十四年から県直営工事で、富竹地籍では石積みによる護岸、金箱地籍の学校西から下駒沢の五反田地籍までの河床ざらいがおこなわれた。同二十六年にはブルドーザーが使われ竣工が早められた。