市制・町村制の施行

405 ~ 406

明治二十二年四月一日、市制・町村制の施行により、小島村・柳原村・村山村の三ヵ村は合併し柳原村が誕生した。この合併案を上水内(かみみのち)郡長からはじめて諮問されたとき、小島村は一村独立を主張し、のちに南堀・北堀・石渡・北尾張部(きたおわりべ)の各村との合併を希望した。これに対し郡長は、小島村の一〇〇戸未満の独立に反対、千曲川の治水費は関係集落で負担することとして、組替えを認めなかった。県もこれに同意し、小島村・柳原村・村山村の合併を命令した。これによって旧村名を大字とし、村役場を大字柳原宇中組に置いた。合併当初の柳原村は、戸数三三八、人口一八一一人であった。