柳原地区では、小島(こじま)・中堰(なかぜき)・平蔵屋敷(へいぞうやしき)・村山橋西詰(むらやまばしにしづめ)などから、弥生時代の栗林式土器や箱清水式土器が出土していた。最近、長野電鉄線より北側の開発が盛んになって、柳原駅北の中俣(なかまた)遺跡からは、弥生中期から古墳前期の集落跡や、北陸・東海・尾張地方の影響を受けたと思われる土器が出土し、文化の交錯(こうさく)地帯といった様相を示している。新しい中央消防署柳原分署地では、弥生後期から古墳後期の遺跡・遺物が検出された。水内坐一元(みのちにいますいちげん)神社遺跡では柳原小学校移転にともなう発掘で、弥生期の土器・石器や古墳時代の住居跡、さらに、平安時代以降と思われる陶磁器が出土した。また、柳原体育館建設のための発掘では、集落外周部に二重の環濠(かんごう)が五メートル間隔で南北に走っているのが発見された。この環濠の底から木製農具のほか、未完成の弓など木製武具が多数出土し、なかには矢先が異様に大きい槍(やり)状の木具や、下半分に赤い渦巻き状の模様があって、一面にひもを通す小さな穴が横に並んでいる木製の盾(たて)も出土し、畿内の文化との関係が話題になった。
中俣神社の西側の宮西遺跡からは弥生時代の遺物や、中世の住居跡や遺構が発見され、中俣城との関連も考えられている。富士通長野工場に接する小島境遺跡からは、弥生時代の遺構や古墳時代の住居跡が検出され、玉造りに関係する遺物も出土している。これら柳原・小島一帯の遺跡を総称して「小島柳原遺跡群」と称している。