『長野市の石造文化財』によれば主な石像は、地蔵八、庚申(こうしん)塔五。地区別にみれば、村山二〇、小島一〇、中俣(なかまた)七、布野(ふの)七と全体に少ない地域である。珍しい石像は、村山神社前にある文化(ぶんか)五年(一八〇八)建立の線刻地蔵道標である。線刻地蔵像の両側に「東ハ北国ゑちご飯山 西ハ善光寺戸隠 水内(みのち)郡村山村」とある。また、村山神社境内にある元文三年(一七三八)建立の入母屋(いりもや)形の「庚申塔」の屋根には、薬に使うため石粉をとったという「くぼみの穴」がある。古野神社には、旧裾花(すそばな)川の流路を想定させる舟繋石(ふなつなぎいし)がある。また、中俣の宮北には、干ばつのとき宮土井のなかに沈めて祈る雨乞(あまご)い地蔵がある。首がないところから、首なし地蔵ともいう。このあたりを地蔵畑といっている。
中俣の勝善寺(しょうぜんじ)跡には、「中麻奈(なかまな)にうきをる舟のこぎてなば あふことかたしけふにしあらずば」という万葉歌碑がある。明治十二年(一八七九)二月五日に建設許可された、神武天皇遥拝所建設記念碑である。江戸時代後期の国学者、伊勢御師荒木田久老(おしあらきだひさおゆ)が『信濃漫録(しなのまんろく)』に「この中麻奈は水内郡中俣ならむ」としたことから、国学者で万葉集の研究者だった寺田久連松(てらだくれまつ)によって建立された碑である。また、ここには戦後小学校から移した大正十年(一九二一)十月建立の「忠魂碑」もある。