一 神社

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 水内坐一元(みのちにいますいちげん)神社 小島 ①祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・菅原道真公(すがわらみちざねこう)・大物主神(おおものぬしのかみ)・猿田彦大神 ②由緒 小島の産土(うぶすな)神。古くは水内(みのち)社、または諏訪大明神(すわだいみょうじん)という。天文(てんぶん)二十二年(一五五三)上杉謙信信州川中島出陣のおり、祭典料永一貫文と制札を下付したという。弘化(こうか)三年(一八四六)氏子が出稼ぎをして資金を集め、嘉永(かえい)五年(一八五二)彫刻師清水与作・亀原和太四郎作の門灯籠(もんとうろう)と踊り舞台を献納。さらに、安政(あんせい)二年(一八五五)水内最高の意をもって社号を改めた。明治四十年(一九〇七)社殿改築、翌年には用水堰(せぎ)西にあった神明社・天神社・金刀比羅(ことひら)社を合祀(ごうし)。昭和六十一年(一九八六)には老朽化した境内社を造営。御柱祭を盛大におこなっている。


写真4 水内坐一元神社の御柱祭 昭和31年4月25日、戦後初のお柱祭り、以後さかんになる(奥村直美提供)

 中俣神社 中俣(なかまた) ①祭神 建御名方命・天照大神 ②由緒 古くは諏訪社という。周囲の字名を宮前・宮北・宮東・宮西という。伝承によれば真田家と関係が深く、天明(てんめい)五年(一七八五)江戸の真田屋敷修理に社木を献上、享和(きょうわ)元年(一八〇一)社殿再建には、真田家から木材と六文銭の幕を寄進されたという。明治九年社号を中俣神社と改めた。境内に養蚕神と伊勢社を祭っている。大正八年(一九一九)火災にあい、同十年再建、拝殿の棟にかじの葉と六文銭の紋がある。平成六年(一九九四)には、嘉永(かえい)二年造立の石の鳥居が破損したので再建した。

 古野神社 布野(ふの) ①祭神 品陀別命(ほんだわけのみこと)・天照大神 ②由緒 古野八幡宮と称し、布野の産土神。伝承によれば、社殿修築には松代藩から普請用度(ふしんようど)として高九升七合と六文銭の幕・木盃を献納され、役人つきの相撲興行を認められたという。文政(ぶんせい)十一年(一八二八)現社号に改称。明治四十一年伊勢社・諏訪社を合祀。社殿は総けやき造り、拝殿には嘉永二年の峯村白斎(はくさい)らによる俳諧献額がある。境内にけやきの巨木があり、そのうち一本は、目の治療に効果があるという、「目洗い水」が幹のもとにたまっていたという。

 村山神社 村山 ①祭神 建御名方命・誉田別尊(ほんだわけのみこと)・天照大神 ②由緒 天正(てんしょう)年間(一五七三~九二)現在地より東方にあった社殿を、千曲川の氾濫(はんらん)で遷座したという。寛保(かんぽう)二年(一七四二)の洪水で社殿流失、延享(えんきょう)年間(一七四四~四八)再建。文政(ぶんせい)十三年諏訪社を現社号に改めた。明治十七年大明神の彫刻像「三十番神像」が献納された。同四十三年八幡社・伊勢社を合祀した。

 神武天皇遙拝所 中俣 発願者寺田久連松(てらだくれまつ)と八十余人の賛同者によって神武天皇の御陵に向けた遥拝所と拝殿控所(現中俣南公民館)を明治十三年四月三日、造営落成。神武天皇祭(四月三日)に中俣神社の例祭とあわせ祭典をおこなっている。現在の遥拝所は昭和五十六年九月竣工である。