須坂街道

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明治期になると須坂の製糸業が盛んになり、千曲川越えも渡し船から舟橋となった。明治八年(一八七五)十一月村山神社北側から高井郡村山村に、木橋と舟一八艘の上に板を並べた船橋が作られた。全長約三二四メートル、橋幅約一・八~二・七メートル、同十三年の渡し料は人七厘、牛馬二銭二厘、車一銭二厘であった。村山神社付近はそば屋・菓子屋・人力車屋でにぎわったという。

 明治三十一年九月信越線に吉田駅が新設されると、須坂の製糸業者は、小布施回りの豊野駅をやめて吉田駅を使うようになった。須坂から村山経由の吉田の道を須坂街道と呼び、小島の沿道には桜並木ができた。なお、大正七年(一九一八)には須坂から米子鉱山の硫黄、吉田駅から製糸工場で使う石炭を輸送するため、須坂・吉田間に鉄索が架設された。柳原では古野神社南を通過している。