明治の大洪水

426 ~ 427

明治二十九年(一八九六)七月二十一日から三日間つづいた豪雨は、濁流となって布野前の堤防を押し切り、中俣の須坂街道堤防を四〇~五〇メートル決壊し、全村の田畑・家屋が六〇~九〇センチメートル水浸しになったという。また、同三十一年九月七日の台風をともなう豪雨では、布野堤防七ヵ所、中俣の須坂街道堤防四ヵ所を決壊、柳原村戸数三三〇、うち床上浸水二二九、床下浸水七八、小島の西端の二三戸が被害を免れただけである。小学校も床上三〇センチメートル以上浸水し、板塀が倒れ、門柱が傾いた。このため二十一日(二週間)まで臨時休業にして、床上・床下の泥土を除き、床上洗いや床下の石灰散布などの作業をした。