文化に尽くした人びと

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『長野県俳人名大辞典』には、柳原地区では二二人の人が立項されている。柳原村初代村長寺田六三郎もその一人である。六三郎は号を済世(さいせい)(松屋)といい、「梅友集」「追福青柳集」に名をつらねている。峯村鳶雄(がゆう)編『花廼滴(はなのしずく)』(明治十五年刊)には柳原の人一〇人の句が載っている。水内(みのち)郡石村(現豊野町)の白斎の影響を受けている。

 小島の清水与作は江戸後期の彫刻師、傑作は水内坐一元(みのちにいますいちげん)神社の門灯籠(どうろう)や踊り舞台。木目を生かした唐獅子(からじし)や竜牡丹(ぼたん)・花鳥など荘厳で堂々としている。養子の善吉も建築彫刻家である。村山の山口善右衛門は紺屋を営み、絵をかいている。号を雄斎(ゆうさい)という。孫の善三郎は雄山(ゆうざん)と号し、内国絵画共進会(明治十五年開催)に出品している。長井雲坪(うんぺい)・児玉果亭(かてい)らと親交もあつく、送別書画会や松雲追善会をともにおこなっている。万葉集を研究し、中麻奈庵象悦と号した寺田久連松(てらだくれまつ)は国学者。小島の宮沢岩太郎は、一茶研究の先駆的な業績として知られ、正岡子規校閲『俳人一茶』(明治三十年刊)の編著者であり、『信濃謡曲注解』を著している。中俣の佐藤友治は歓喜園友香と号し、生花・謡曲・茶道の師匠、大正八年(一九一九)門弟によって寿碑が建てられている。小島の清水保は郷土史家。今井勇之進は、金属の性能向上に尽力し、平成四年文化功労者に選ばれた。


写真10 小島の踊り舞台