一 終戦と民主化

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 昭和二十年(一九四五)八月十五日、太平洋戦争が終結した。この戦争のため、柳原地区の出征者は二六三人、戦死・戦病者は七二人(昭和三三年八月現在)、そのうち二十歳代は四七人、最年少者は海軍志願兵の一六歳、最年長者は軍属の四二歳である。この敗戦によってアメリカ人が上陸したら、女子は男装になるのがよいとか、虐待されていた朝鮮人が、井戸に毒を投げこむとか流言飛語があったという。

 昭和二十一年一月一日、天皇の人間宣言があった。大政翼賛会は解散し、戦時中の役職は公職から追放、国民学校の修身・国史・地理などの教材は回収、奉安殿の取りこわしなど日に日に軍国主義、超国家主義は払拭(ふっしょく)され、平和国家・民主国家建設の姿が見えるようになった。同年四月十日には、二〇歳以上の男女の参政権を認めた、新しい選挙制度による衆議院議員の選挙があった。村山の小坂善太郎(三四歳)が初当選をした。同二十六年四月二十三日、戦後第二回目の村会議員選挙では、小坂千枝子婦人会長が当選、婦人の地位向上をめざす先駆けとなった。また、農村民主化の基盤となる農地解放では、農地面積二二七・二町歩(二二五・三ヘクタール)のうち、八〇・四二町歩が解放に該当していた。同二十四年三月にはその対象農地(小作地)の九八パーセント、七八・八七町歩が解放され、自作農が増加し、生産意欲が高まり、村が明るくなったという。