堤防区域は小県(ちいさがた)郡小牧(こまき)(現上田市)から、立ヶ花から蓮(はちす)を除く下水内(しもみのち)郡常盤(ときわ)(現飯山市)までと、犀(さい)川の両郡橋から千曲川合流地までである。計画では、馬踏四間(約七メートル)、表裏両法(のり)二割、堤頂を計画高水位以上五尺(約丁五メートル)とし、高さ一二尺(三・六メートル)以上の堤防を築き裏側に小段を設けることとした。柳原地区は昭和六~七年(一九三一~三二)ごろ工事をおこなう。長沼・地蔵窪(じぞうくぼ)間は一里塚を通ったへの字形旧堤防をほぼ直線にした。また、村山橋上流の流心が堤防に接近しているため、法面(のりめん)を石張りにし地固工・木工沈床をし杭柵水制が望まれていた。土は河原からトロッコや馬を使って運んでいる。人足は主に不景気のときだけに、地元農家の人も働いた。着工当初は一〇ヵ年計画であったが、関東大震災や財政緊縮、日中戦争などで再三延期され、昭和十六年にようやく竣工した。総工費一一〇〇万円、着工から二三ヵ年を経て、昭和十六年十一月二十三日、城山市営球場で、内務大臣代理谷口技官はじめ、関係者四百余名が集まって竣工式をおこなった。
第二次世界大戦後は関東地方建設局千曲川工事事務所を開設、第二期改修工事をおこなっている。村山付近では一メートルほどかさ上げし、幅四メートルの犬走りをつけている。平成八(一九九六)年七月には村山橋上流二五〇メートルの堤防下部に鉄鋼を打ち込んでブロック地固めし、その上に三~五トンの自然石を置き、親水景観に配慮している。なお、村山橋・篠ノ井橋間(一九・二キロメートル)の堤防上(一・八メートル)は、千曲川サイクリング道路になっている。村山橋から屋島橋間の堤防は信毎マラソンコースの一部になっている。