農地の減少と土地区画整理組合

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市街化につれ、農地が宅地や商工業地に転用されていく。柳原地区の耕地面積は昭和三十五年二二二ヘクタール、平成二年には一一一ヘクタールと半減し、さらに減少している。同じく、農家数も昭和三十五年三三一戸、農家率七六・〇パーセント。平成二年は農家数一五二(専業二〇、一種兼業一三、二種兼業一一九)、しかも、非農家の転居者が増加し農家率七・六パーセントと激減している。平成八年『JAながの』の資料によれば、耕地面積八五ヘクタール(水田三七、果樹三八、その他一〇)そのうち稲作ではコシヒカリ、りんごはふじ・つがるなど優良品種を選んで作付けしている。また、園芸作物ではアスパラガス・いちご・たまねぎ・なす・きゅうり・トルコギキョウなど生産性と換金性の高い都市近郊型農業に取り組んでいる。

 中俣区では急速な都市化をみて、無計画な開発を恐れ柳原駅北側の農地二四・二ヘクタールを、昭和五十六年から調査・研究し、同六十二年中俣土地区画整理組合(組合員一四三人)を結成。二二億五一〇〇万円を費やし、規則正しい縦・横の道路に住宅地や公共施設予定地などを造成し、平成四年九月竣工式をおこなった。つづいて、中俣コミュニティセンター・消防署柳原分署なども竣工し、個人住宅やアパート・会社も続々と建設され新しい街ができつつある。同八年二七五世帯、三〇社がはいっている。