長野市への編入合併

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昭和二十八年九月、長野市は町村合併促進法の施行にもとづき、近村合併対策協議会を発足させて近隣村の合併を研究した。市では七月に古里村に合併を申し入れており、同年十月三十日、朝陽(あさひ)・柳原・浅川・大豆島(まめじま)・若槻・長沼の六ヵ村に正式に合併を申し入れた。浅川村ではこれを受けて十二月十日、合併促進協議会を結成して合併案の研究を重ね、産業・経済・文化上深いかかわりをもつ長野市との合併を決定した。同年十二月二十八日、村長らが長野市を訪問し、同二十九年四月一日の合併を正式に申し入れ、翌年一月二十日、長野市役所において合併に調印した。同日は柳原・大豆島・朝陽の各村も合併に調印し、さらに二月に入って若槻・長沼の両村、三月に入って安茂里(あもり)・小田切(おたぎり)・芋井(いもい)の各村も合併に調印した。

 かくして、昭和二十九年四月一日の一〇ヵ村合併による長野市は、面積で約五倍となり、人口も五万人増加して約十五万人の都市となった。