四 石造文化財

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 浅川地区の石造文化財は『長野市の石造文化財』に二八七基が記載されている。このなかにはブランド薬師参道の開山とされる役行者(えんのぎょうじゃ)像や十三仏が含まれていないから、これらを入れると三〇〇基以上となる。この多さは地域が広いことと村人たちの信仰心の厚さによるものである。札所観音五三基、馬頭観音二七基、庚申塔(こうしんとう)一六基、道祖神一四基が主なものである。

 年代がわかるもっとも古いものは、慶安(けいあん)(一六四八~五二)の年号のある流造型の石祠(いしほこら)で清水・白山神社、伺去(しゃり)神社に二基ある。つづいて元禄(げんろく)二年(一六八九)の観音立像が門沢(かどざわ)の庚申場に、同三年、同七年の庚申塔が三ッ出・北郷竹の下の庚申場に建立されている。なお、畑山耕地にあって現在、神社境内に移されている元久(げんきゅう)二年(一二〇五)銘のある青面金剛立像の庚申塔は、あまりにも古い年代であり、また、三猿が彫られているなどで、江戸時代元文(げんぶん)年間(一七三六~四一)の庚申塔ではないかといわれている。

 西国・秩父三十三番札所観音は、坂中神社わきに四六基安置されているが、ここは浅川村初代村長に就任した斎藤家の旧所持地である。文化(ぶんか)十五年(一八一八)の年代の入った西国一番のほかは、札所番とご詠歌のみが彫られている。

 馬頭観音二七基は浅川地区のほとんどの集落に建てられているが、道路わきに多く見られるのは道中の安全を祈願し、また斃馬(へいば)の供養として建てられたものである。

 道祖神一四基のうちに双体握手像が五基あり、陽陰石が多いのも浅川地区の特色である。北郷・朝川原神社の陽石・陰石のほか、西条諏訪(すわ)神の境内地整備のさい掘り出された陽石も道祖神として同社地に安置されている。押田城跡入り口の墓地にも陽石が祭られている。これら陽陰石の信仰は、この地区の歴史の古さを物語るものであろう。


写真4 北郷朝川原神社境内の陽石


写真5 同陰石