二 寺院

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 明治初年の浅川西条地区の古地図にあった(白鳥山)東光寺・(熊井山)浄願寺・(三登山)阿弥陀(あみだ)寺・長見寺(寺田)・観音庵(宮前)・西光院(坂中)などは、合併や焼失、地震による壊滅などで廃寺となってしまった。

 長福寺 曹洞宗 浅川西条 東組 ①本尊 釈迦如来(しゃかにょらい)座像 ②山号 南命山 ③由緒 天正(てんしょう)四年(一五七六)水内郡長沼(現長野市長沼)曹洞宗玅笑(みょうしょう)寺一七世陽天宗幡和尚が開基。往時から若槻と西条との境界の裏山に薬師堂(本尊は行基(ぎょうき)作の薬師如来像か)があり、この堂が当山発祥の元となった。最初は真言宗か天台宗であったらしい。境内にあった白山社の彫刻が伝えられている。

 ブランド薬師と十三石仏 薬山 ①本尊 少彦名命(すくなひこなのみこと)(八櫛(やくし)神社のこと) ③由緒 参道に配置された十三石仏の七番目が薬師如来像であり(その本地仏が少彦名命である)、そこから「薬師」という。八櫛神社としては古い。『町村誌』には「鳳鸞洞(ぶらんどう)」とある。舞台造りの建物がブラリと揺れることからの命名ともいう。文久(ぶんきゅう)元年(一八六一)に建物を再建した。拝殿にある記録には「万延(まんえん)二酉歳(とりどし)(改元して文久元年)本堂再建…」とある。このときに新しく十三石仏が参道に安置された。飯綱への新道・ループ橋工事により入り口部分を整備し、木造鳥居の横には馬頭観音像や石祠、石碑・十三仏巡礼碑などがある。