火災

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記録に残る火災は坂中に二度発生している。文政(ぶんせい)六年(一八二三)長左衛門廏(うまや)より出火、道上一五戸を焼失、馬一頭焼死する。明治八年(一八七五)五月、三三戸焼失の大火があった。

 戦後の大火としては昭和二十四年八月十七日午後、清水区に大火があり、二九戸のうち一六戸焼失の大被害となった。当日は村の観音様の縁日で住民は在宅であったが、炎天つづきの乾燥と水利不便のため大事となった。出火の原因は、牛舎にあった蜂(はち)の巣を焼こうとしたこどものいたずらであった。