俳諧

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坂原月外(押田)は、天保(てんぽう)から嘉永(かえい)の年代、俳諧を石村(豊野町)の峰村白斎に学び、その高弟の一

人に数えられ地方俳諧に活躍した。

 松室得雄(西平)は、安政(あんせい)から明治初年にかけて寺子屋師匠として四〇人の師弟に読み書きを教え、かたわら

俳句・和歌をよくした。

 高橋楚扇(そせん)(伺去(しゃり))は、明治初年から中期にかけての俳人であり、白斎二世鵞雄(がゆう)の門人となった。

 松木喜右衛門(北郷)は、松樹庵(まつきあん)一枝と号した。ブランド薬師の登り口に明治三十一年(一八九八)五月建立の句碑がある。松樹庵二世は芋井地区犬飼の方広寺住職・常田渓国が継いでいる。