住宅団地の造成始まる

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戦後の住宅難は長野市においてもいちじるしく、宅地の近郊農地への進出も多く、農地の乱開発が問題となった。浅川地区においては昭和三十年代後半に県企業局による浅川団地の造成が始まり、同三十九年に団地は一つの「街」を形成して、以後、屋敷田団地、長野電鉄による西条住宅地、企業局による西条団地が同五十一年から五十三年にかけてあいついで造成された。ついで神楽橋団地の建設も進んで六ヘクタールの田畑が二三〇区画の住宅地へと変わり、同五十六年四月には新しく区制がしかれた。山間部の過疎化とは対照的に住宅密集地となり、約二千戸の住宅と五〇〇〇人の人口が増加した。