大正十二年(一九二三)に長野市都市計画が施行されるとき、大豆島村は安茂里村と共に、長野市の呼びかけに応じ、都市区域に編入になった。昭和十七年にも長野市から合併の申し出があったが、戦時中だったので、村では辞退した。同二十四年にも長野市から合併についての申し入れがあったが、そのまま時が過ぎた。
昭和二十七年九月には町村合併促進措置法という法律ができ、同二十八年六月には長野市から正式に合併の申し入れがあった。
大豆島では合併の可否を世論調査したところ、可七三パーセント、否五パーセント、不明二〇パーセントで、可が圧倒的に多かった。昭和二十九年一月、村議会は全員一致で合併を決議、四月一日付けで長野市に合併された。合併についての申し合わせ事項として、従来の大豆島区、風間区の財産は、それぞれ特別財産区として残すことになった。
区有財産は上高井郡保科村(若穂町)の旧二二ヵ村共有山林の一部、畑約四町歩、山林約二十八町歩である。