芹田郷

498 ~ 498

九世紀ころ、信濃には律令(りつりょう)制の郷が六七郷あり、そのうち八郷が水内(みのち)郡にあった。大豆島(まめじま)地区は芹田郷(せりたごう)に属していたであろう。平安時代後期には、近くの河居(かわい)・馬島(ましま)・村山(むらやま)・古野(ふるの)が善光寺領の荘園になっていたから、大豆島地区も善光寺領に含まれていたかもしれない。風間には式内風間神社があり、このあたりの中心だったのであろう。