二 寺院

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 常福寺 真宗東派 風間 ①本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい) ②山号 鷹苑(おうえん)山 ③由緒 本願寺八世蓮如(れんにょ)の孫実恵が永正(えいしょう)十二年(一五一五)に創建したという。越前から、善光寺、山田(高山村)を経て現在地に移った。この社地は風間氏の館跡で、最近まで堀が残っていた。真田信之の三男信重(一五九九~一六四八)が帰依し、寺内に茶屋を設け、鷹狩りのときしばしば休憩したという。これにより「鷹苑山」と号し、六連銭の紋を用いるようになった。信重の位牌(いはい)があり、裏に「抑当寺由来者、真田隼人正殿御鷹場御茶屋有之、慶安元戊子年二月二十三日御死去已後、即号鷹苑山不退院常福寺者也。」と記されている。

 藤興寺 曹洞宗 風間 ①本尊 薬師如来(やくしにょらい) ②山号 大乗山③由緒 元は薬師堂であった。元禄(げんろく)十年(一六九七)の『松代藩堂宮改帳』に、「一、薬師堂地 三間二間、但守有』とある。明治二十九年(一八九六)、十三世住職神原宗禅が、下高井郡延徳(えんとく)村桜沢にあって廃寺同様だった藤興寺の名をもらい受け、堂も解体して運び、薬師堂を廃して藤興寺を興した。長く集落の公会堂として使用した。境内に薬師堂主の筆塚などがある。


写真7 藤興寺(西風間)

 宝樹軒 浄土宗 大豆島 ①本尊 阿弥陀如来、前立延命地蔵尊(まえだちえんめいじぞうそん) ③由緒 寛永(かんえい)三年(一六四六)開創の地蔵庵が廃寺になったので、明治二十二年新潟県高田(上越市)来光寺から阿弥陀如来を本尊に迎え、もとの延命地蔵を前立とし、観音・勢至両菩薩を脇立として再興、翌年浄土宗総本山知恩院直末となった。大豆島の中心、更級神明大神社と並んでおり、大豆島区の公民館としても利用されている。境内に地蔵庵主の筆塚などがある。