松岡新田村

505 ~ 506

万治年間(一六五八~六一)ごろ高四〇〇石余で独立の村になっていたが、寛文(かんぶん)年間(一六六一~七三)には二〇〇石、享和(きょうわ)年間(一八〇一~○四)には八〇石とだんだん減少した。天明の末年から、しだいに復興し、二八八石、九十余戸となり、明治六年(一八七三)大豆島に合併したという(『町村誌』)。宝永(ほうえい)七年(一七一〇)の幕府への訴状には「大豆島村・風間村・松岡村右三ヶ村」とあり、以後、村役人は本村とは別に立てている。戸数・人口は表1のとおりで、昭和三十五年(一九六〇)ごろまで、あまり増えていない。現在は明治元年の約二・五倍である。


表3 大豆島村持高表