こい・かもの上納

511 ~ 512

享保(きょうほう)十三年(一七一八)、松代藩は大豆島村に、一年にこい一〇〇本、かも一二羽、さけ・ますは取れしだい上納せよと命じた。こいはその後二五〇本に増やされたが、だんだん金納される分の方が多くなった。安永(あんえい)二年(一七七三)にはこい二五〇本のうち、七〇本は免除、残り一八〇本のうち一六本だけ現物納で、残りは一本につき銀三匁の値段で金納、代金八両余だった。かもは十一月と十二月に現物を納めている(県史近世⑦-一)。

 こいはふなで代納することもあったが、こい一本につき三寸ふな三五枚の割に換算され、こいがかなり貴重だったことがわかる。