明治以後の四ヶ郷用水

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明治二十二年(一八八九)の町村制施行により、風間村が大豆島村(松岡はすでに明治六年大豆島に合併)に合併、千田村は南俣村と合併して芹田村となった。しかし四ヶ郷用水の名称はそのまま使用された。昭和二十六年(一九五一)、土地改良法が施行され、四ヶ郷土地改良区が設立され、用水下流の朝陽村南北屋島地域が加わった。昭和三十七年に四ヶ郷土地改良区は善光寺平土地改良区と合併した。


表6 四ヶ郷用水組合の灌漑面積と組合員

 裾花川から水を引いている鐘鋳(かない)・八幡・山王などの用水は、水不足から争いが絶えないので、昭和五年に善光寺平耕地整理組合(昭和二十六年から善光寺平土地改良区)をつくり、同六年から県営で犀川の水を小市で引き入れる工事を始め、同十一年に完成した。

 昭和二十九年、小田切発電所ができることになり、小田切発電所送水口に用水の取入口をつくることになった。四ヶ郷用水は犀北団地北で幹線水路と分かれ、裾花川と丹波島橋北の国道の下をサイフォンで横断、もとからあった四ヶ郷用水取入口につなぐ。この工事は昭和四十年に完成した。

 組合では同五十八年三月、水路改修と合併を記念して大豆島地区に「四ヶ郷用水組合記念碑」を建て『四ヶ郷用水誌』を刊行した。