弘化(こうか)四年(一八四七)三月二十四日夜一〇時ころ起こった大地震は、犀川せき止め箇所決壊による四月十三日の洪水とのダブルパンチで被害を大きくした。地震の被害は大豆島(まめじま)村で全壊一、死者一(ただし他出)、松岡で半壊四、死者八(善光寺で)で、家屋の被害はそれほどではなく、死者はおもに善光寺町でのものであった。被害は洪水の方が多かった。風間では一三〇戸のうち、浸水しなかっだのは四軒だけで、死人一人が流れついた。大豆島・松岡はほとんど全戸浸水、大豆島では流失一戸、半壊九戸、松岡は流失一戸だった。被害は大きかったが、例えば北屋島が三〇戸半壊、一三戸流失、流死二人の大被害を受けたのと比べると被害はいくらか軽い。