堤防

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川端の村は当然堤防を築いて村を守らなければならぬが、対岸の村と利害の反することが多かった。大豆島地区で堤防を築こうとすると、対岸の福島(ふくじま)村(須坂市)が反対した。主流が洪水のさいに福島に突き当たるという理由である。土屋坊(どやぼう)(南屋島)は福島(ふくじま)の分村だが、左岸にあるので、大豆島村と協力、訴訟に勝って堤防を築くことができたという。

 現在の大堤防は大正七年(一九一八)に着工、二三年をついやして昭和十六年十一月二十三日ようやく完成した。当日の新聞は「千曲川の水難昔語り。感慨深し二十三年」という大見出しをかかげた。その後、善光寺平ではこの大堤防が切れたことはない。(『信濃川百年史』)

 犀川の堤防もこの工事で完成、四ヶ郷用水の払堰(はらいせぎ)堀川用水路暗渠(あんきょ)(二・八メートル×一・八メートル)、清水排水路付替(四八二メートル)も付帯工事として完成した。